再放流禁止

 新幹線の内壁に貼ってあった広告に、滋賀県の琵琶湖の広告があった。


 琵琶湖を大切に、という内容で、「ゴミのポイ捨て禁止」みたいな禁止事項が並んでいた。その中の一つに「外来魚の再放流禁止」というものがあった。要するに、釣ったブラックバスはリリースするな、ということらしいが、人が釣った魚をリリースしようがどうしようがその人の勝手だろう、と思った。まあいいたいことは分からないでもないけど、「リリース禁止」ってのはややあつかましいと思った。


 それはいいとして、ブラックバス問題については、昔から反論があった。本当に害魚なのかとか、生態系を乱しているのか、等だ。琵琶湖でタナゴなどの数が減少しているのは、ブラックバス問題よりも、湖の汚れなども影響している、という話もちょくちょく出ていた。が、まあ今となってはやはり害魚としての側面が強くなってきているというのも事実なのだろう。生態系云々の話は、何が正しいのかを見つけるのが難しいので、あまり他人としたくない話ではある。


 さてブラックバスが広がった原因は「闇放流」であると昔からされているが、俺はこれが未だに信じられない。そもそも誰が数ある野池に闇放流をしたというのか謎なのだ。余程の釣り好きでもそんなことはしない気がする。しかも、魚を生きたまま運ぶというのは難しいし、水質や水温の違いなどで、放流しても繁殖する可能性は実に低い。10匹くらい放流すれば別だろうが、ブラックバスを捕まえることも簡単ではない。おまけに野池や湖の数は途方もなく多い。そんな小さな野池の一つ一つにまでブラックバスが生息しているのは個人的には謎としか言いようがない。原因は、闇放流くらいしか原因が考えられないのかもしれないが、それにしてもブラックバスが日本中の水という水に生息している理由が、未だに釈然としない。

ポイントが高い男の条件

 Caznet Webアンケート「今月の気になる数字」の調査(だったと思う)で、ポイントが高い男の条件、という調査結果があった。以下。


1位  料理ができる 39%
2位  日曜大工が得意 25%
3位  動物が好き 14%
4位  整理整頓が得意 13%
5位  掃除好き 6%
6位  洗濯上手 5%


 結婚を見据えるような年齢層にとったアンケートだっていうことは見ての通りだが、日曜大工が二位にくるとは。しかも動物好きが三位というのも、意外。


 最近俺の目に入った「いい男の条件」みたいなアンケートでは、ここに出てきたような選択肢はあまり出てこなかった気がする。なんというか高収入・高学歴・高身長の3高とか、或いはスポーツができるとか顔がかっこいいとかオシャレとか、そういうのが出てきたりしたもんだが…。やはり、こういう「どんな異性がいいですか」アンケートは年齢層や回答者層、アンケートの取り方、質問の仕方によって解答結果が異なってくるんだろうかね。あ、いや、このアンケートは、ポイントが高い、ということだから「高収入」とか、そういうメインのは省かれているのか。ちょっとしたいいところ、ということか。


 俺はどうだろう… 料理はできるようなできないような… っていうか料理なんてレシピ通り作ればいいだけなんだから、できるもできないもないと思うのだが。五枚おろしができるとか、千切りが速いとかならわかるもんだが。ま俺のことなんぞどうでもいい。


 家事や育児に参加するパパ、みたいな理想像がここ10年くらいテレビなんかで強調されるようになってきたから、それが原因なのかねえ。

句点をつけるな

 モーニング娘ではないが、最近、句点をつけるべきではないものに句点をつける風潮があるように感じる。別にどうでもいいけど。


 例えば下の「読めない地名を何とかしろ。」は、自分で書いておいてなんだが、尻についてる句点は不要なはずだ。「読めない地名を何とかしろ」でいい。しかし、こういった単文にも句点をつける人が妙に最近多い(気がする)。句点はCOOLな記号なんだろうか。きっとそうに違いない。雑誌中の広告でも、やたら句点を強調したのが目に付く。「はず。していきます」のあれとか(ってわからんか)。


 句点というのは、文章が二つ以上存在する時に使うもので、体言や一つだけの文章では本来使わない、という隠れ規則があったような記憶があるが(かなり自信がない、間違っているかもしれん…)、それに反しているのでは、と薄々思っている。「この先注意。」とか。


 しかしそれはいいにしても、言葉に句点をつけるのがいたりするが、これはどうかと思う。わざとやっているのかもしれないが。
「←流れの速い川。」とか「東京三菱銀行。」とかね。


 ところでモーニング娘は、もはや言うまでもないが正しくは「モーニング娘。」であるが、体言に句読点を含むのは反則だと思うので、俺は排除している。最近のドラマで「新選組!」てのがあるが、これも勘弁してくれと言いたい。読むときは「しんせんぐみぃっ!!」と読まないといけない気がしてくる。「!?、。」あたりは、平坦な文章に混じると、文法が狂うというか、文章が破綻するので止めて欲しい。つのだ☆ひろ、はまだいいのだが。

読めない地名を何とかしろ。

 いや、別に何とかするほどの問題でもないが、日本には知らなければ読めない地名が多くて困る。例えば京都だけで 水主(みずし)・女布(にょう)・加悦町(かやちょう)・神足(こうたり)・先斗町(ぽんとちょう)・化野(あだしの)・帷子ノ辻(かたびらのつじ)・上終町(かみはてちょう)・雲母坂(きららざか)・糺の森(ただすのもり) など普通に読めない地名が多く存在する。東京方面で有名なのは我孫子あたりだろうが、これも知らなきゃ読めない。


 そこでこういう地名は、普通に読んだときの読み方でOKということにするべきだと思う。難しい地名は、例えば水主(みずし)は「すいふ」、雲母坂(きららざか)は「うんぼ(も)ざか」と読んでもいいことにするべきだ。或いは、ちゃんとよめる漢字にあてなおせと言いたい。また、町・村で まち/ちょう むら/そん の言いわけは、どちらでもいいことにするべきだとも思う。


 複雑な地名だけ別個に覚えればいいと言うかもしれないが、いちいち覚えていたらきりがないほど、難しい地名は多い。北海道や沖縄なんかは特に酷すぎる。


 現在は情報化社会であり、言い換えればコンピューター化社会であるわけだが、その情報の大半は「文字情報」であって、その文字は意味が分かればよく、音を読めなくても支障がない。対人間の口頭による情報伝達を主にしていた頃の時代は、クソ難しい地名であっても普通に発音すればいいだけであり、だから逆に音は知っているけれど漢字では書けない読めないということがあったりしたわけだ。しかしそんなものは過去の話だ。難しい、というか普通に読めない地名を放置しておくのが時代にそぐわないのは火を見るより明らか(多分)。


 何より、難しい地名の読み方に神経を使わないといけないのは、人間リソースの無駄で意味がない。何が楽しくて、町で「ちょう・まち」と使い分けれなければならないのか。麹町なんて、"こうじちょう"でも"こうぢまち"でもよいではないか。おまけに、変則的な漢字の読み方ばかり覚えていると、正しい読み方にまで支障をきたす。十三なんて、どうよんでも"じゅうさん"なのに、ついつい"じゅうそう"と読んでしまう、と言うのもその支障の例だ。漢字なんてのは標準的な音読みと訓読みがあって、それ以外の意味不明な読み方はすべからく排除すべきであり、いや、排除すべきとまでは言わないが、いくらなんでもそういう変則地名が多すぎだからなんとかしろと言いたいわけよ。


 特に地名を知らない・読めないだけで笑われたりすると、ほんと嫌がらせじゃないかと思えてくる。まあ結局、俺はそれを愚痴りたいだけなのだが。

イラクが旅行先として大人気

 今の若者の旅行先で、一番人気というか、究極の目的地はイラクらしい。


 なんとなく激戦地に行きたい、戦争を見てみたい、今の日本とは全く違う状況に身を置いてみたい、平和と対極にある戦地に身を置いて自分を変えたい、世界観を変えたい、という、いわば「インドに行ってくる」みたいな感覚で行きたがっている。


 しかし、問題なのは軽い気持ちで行く奴が多いので、例えば通訳もつけず、一人でイラクに渡ってビラ配ったり、ビデオ撮影しながら歩いていたりするそうだ。


 ふーんというかなんというか、確かに戦争地に行くことで何かを得たいと思うのは、最近の若い日本人が考えそうなことではある。個人的二だが、どうも、第二次大戦敗戦後から連綿と続く反戦教育の結果のような、そんな臭いがする。


 あと若い奴(俺もそうだけど)はクソ暇だから、そういうのができるんだろうなあとか思う。特に大学生のヒマの持て余し方は凄いの一言。日本の大学生のモラトリアムぶりというか、ヒマっぷりは他国でも類を見ないほどであるが、これはなんとかしないといけないんじゃなかろうかと思う。大学の4年間は遊ぶ期間、という認識がますます強固になっていく。正直、どこの大学でも、4年間で学ぶことは、普通にやっても3年で終わる気がする。
・・・また話が飛んでしまった。

スカートの中を手鏡で覗く=逮捕 はやり過ぎ

 早稲田大学の植草教授が、駅のエスカレーターでスカート覗きのために手鏡使って逮捕された。これがワイドショーやニュース番組でさんざん取り上げられ、徹底的に叩かれているのを見ると、かなり可哀想に思えてくる。実際、少し叩き過ぎじゃなかろうか。


 ある昼にやっていた番組が、スカートの中を手鏡を使って除いた彼を「卑劣な犯罪に走った」とこき下ろしていたが(本当に)、いくらなんでもそれは言い過ぎだと思った。スカートを覗くことのどこらへんが「卑劣」で「犯罪」なのだろうか。そりゃいい歳してなにやってんだと言いたくもなるが、誰に危害を加えたわけでもなく、何かを盗んだなどの損害を出したわけでもなく、さらに盗撮ほど手が込んでいることもなく、軽犯罪としては悪質とは言い難いものだと思う。


 痴漢やパンチラ盗撮などの「女性に対する性的な軽犯罪」は、社会的にかなり強く叩かれることが多い。それに、どうもフェミニストの陰謀が絡んでいるような気がする。


 話は少し飛ぶが、最近、行き過ぎた女性優遇措置をよく目にするようになった。(女性優先タクシーだの、女性専用車両だの、レディースデイなど)最近の日本は、かなり男性逆差別社会であるように感じる。やたら厳しい児童ポルノ禁止法だとか、エロ本などの「わいせつ物」を一切禁じる、或いはそういうわいせつ物に異常に厳しい司法など、「女性蔑視だ!」と叫べばなんでも通る風潮がある。ここに、行き過ぎた女性優遇措置ばかり打ち出してくる、フェミニストの影が見え隠れするのだ。いわば、チンポのついてない奴側の論理、というやつだ。


 スカートの中を覗く、それだけで国権が一個人の身柄を拘束する「逮捕」を発動できるのはどう考えてもやり過ぎであろう。しかし、それだけで逮捕までできてしまう条例ができた背景には、そういうフェミニストの暗躍があったのではないかと感じる。


 最後に一つ言わせて頂くと、覗かれるのはスカートを履くのが悪いからだ、という気もする。日本はなぜか女子学生はみんなスカートを標準的にはくことになっていて、それは今では当然のことだが、色々と見直すべきではなかろうか。

クラナドのメッセの予約特典が凄いらしい

 クラナドのメッセの予約特典が凄いらしい。渚の等身大ベッドシーツとB4版特製イラスト原画集で、メッセ史上最も利益がでない商品になったとのこと。


 で、原画集ってのはいいんだが、ベッドシーツってのはどうか。邪魔っていうか、ベッドシーツなんて間に合ってるし、使おうとも思わないし、結局ゴミになるだけなのだが。しかも敷くのが面倒だから、手に入れても使わない人間が多そうだ。
(追記:意外と好評らしい。ほんとかよ)


 予約特典をどれほど重視するか、というアンケートが『ゲーム批評』で記事になっていたが、それによると、多くの人はあれば嬉しい程度のようだ。が、俺にしてみれば予約特典なんて一切いらない。


 まず無料特典であるが故に、ちゃっちいものであることが多い。また、日常生活用品なんかは既に間に合っていることが多い(ベッドシーツなんて特にそうだ)。たまたま自分が必要なものが特典に付いたりしたときは便利に活用させてもらっているが、例えば置き時計なんかは俺は割と多ければ多いほどいいと考えている人間なのでありがたいが、それ以外のものは不要なことが多い。


 あと頻繁に引っ越す俺としては、なるべく価格÷容積の値が小さいもの、つまり安い割にでかいものは手元に置きたくないので、捨てるしかない。特典とかいう代物は、概してでかいくせに安いものが多いので、あまりうれしくない。例えばKanonソフマップの予約特典で巨大目覚まし時計なんて代物があったが(懐かしいな)、あんなものは邪魔物でしかなかろう。