読めない地名を何とかしろ。

 いや、別に何とかするほどの問題でもないが、日本には知らなければ読めない地名が多くて困る。例えば京都だけで 水主(みずし)・女布(にょう)・加悦町(かやちょう)・神足(こうたり)・先斗町(ぽんとちょう)・化野(あだしの)・帷子ノ辻(かたびらのつじ)・上終町(かみはてちょう)・雲母坂(きららざか)・糺の森(ただすのもり) など普通に読めない地名が多く存在する。東京方面で有名なのは我孫子あたりだろうが、これも知らなきゃ読めない。


 そこでこういう地名は、普通に読んだときの読み方でOKということにするべきだと思う。難しい地名は、例えば水主(みずし)は「すいふ」、雲母坂(きららざか)は「うんぼ(も)ざか」と読んでもいいことにするべきだ。或いは、ちゃんとよめる漢字にあてなおせと言いたい。また、町・村で まち/ちょう むら/そん の言いわけは、どちらでもいいことにするべきだとも思う。


 複雑な地名だけ別個に覚えればいいと言うかもしれないが、いちいち覚えていたらきりがないほど、難しい地名は多い。北海道や沖縄なんかは特に酷すぎる。


 現在は情報化社会であり、言い換えればコンピューター化社会であるわけだが、その情報の大半は「文字情報」であって、その文字は意味が分かればよく、音を読めなくても支障がない。対人間の口頭による情報伝達を主にしていた頃の時代は、クソ難しい地名であっても普通に発音すればいいだけであり、だから逆に音は知っているけれど漢字では書けない読めないということがあったりしたわけだ。しかしそんなものは過去の話だ。難しい、というか普通に読めない地名を放置しておくのが時代にそぐわないのは火を見るより明らか(多分)。


 何より、難しい地名の読み方に神経を使わないといけないのは、人間リソースの無駄で意味がない。何が楽しくて、町で「ちょう・まち」と使い分けれなければならないのか。麹町なんて、"こうじちょう"でも"こうぢまち"でもよいではないか。おまけに、変則的な漢字の読み方ばかり覚えていると、正しい読み方にまで支障をきたす。十三なんて、どうよんでも"じゅうさん"なのに、ついつい"じゅうそう"と読んでしまう、と言うのもその支障の例だ。漢字なんてのは標準的な音読みと訓読みがあって、それ以外の意味不明な読み方はすべからく排除すべきであり、いや、排除すべきとまでは言わないが、いくらなんでもそういう変則地名が多すぎだからなんとかしろと言いたいわけよ。


 特に地名を知らない・読めないだけで笑われたりすると、ほんと嫌がらせじゃないかと思えてくる。まあ結局、俺はそれを愚痴りたいだけなのだが。